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【アラベスク】  第14章 kiss



第1節 幼馴染 [1]




「いっ」
 声をあげても、音は口の中で鈍く響くだけ。無情に消え失せる。その上を、じっとりとした舌が撫でていく。重くて、熱い。
 熱い。痛い。そんな単語すらも発音できない。せめて呼吸だけでもと息継ぐ時間すらそう長くは許してもらえず、あっと言う間に塞がれる。
 もう冬だ。エアコンも入れていない。足のつま先なんてジンジンして、このままでは霜焼けになってしまいそう。なのに、上半身は熱い。汗ばむのではないかと思うほど熱い。そして重い。
 圧し掛かる身体が息苦しさを助長している。だが両手を押さえつけられた美鶴(みつる)には、相手を押し退ける手立てはない。
「い、たい」
 ようやくそれだけを口にする相手を、(さとし)は小さな瞳で見下ろす。頬は紅潮し、息は荒い。
「痛いか?」
 掠れる声でそう問いかけ、手首を掴む掌に力を入れた。美鶴が呻き声をあげる。
 細い手首。聡の掌に握り締められ、このままなら本当に折れてしまいそう。
 昔からこんなに細かっただろうか?
 記憶を辿っても思い出せない。
「痛い、離せ」
「いいよ」
 あっさり手放すと、予想した通り、手首にくっきりと跡が残る。
 俺の掌が、美鶴の手首に。
 その跡をぼんやりと見下ろす小さな双眸。そこには、申し訳ないという感情よりも、どこか誇らしいと思える嬉しさが浮かぶ。
 手首を握り締めた事はいくらでもある。小さい頃はよく喧嘩もした。気の強い者同士、幼稚な意地の張り合いもした。身体の大きな聡に迫られても、美鶴は引かなかった。
 口を尖らせて見上げてくる姿ならいくらでも思い出せる。だが、怒りに任せて掴みかかったその手首が細かったかどうかなどわからない。その身体が小さかったかどうかなど、聡は思い出せない。
 あの頃はそんな事どうでもよかったから、だから気にもしなかったのだろうか。だとしたら、今はどうしてこうも美鶴の身体のいちいちが気になるのだろう。
 細い手首、白い肌、小さな顔。
 いつから気になるのだろう? こっそり覗き見たテニスの試合で、どうして自分は魅入ってしまったのだろうか? いつから?
 一方美鶴は手首を開放され、痛みに耐えながら右手で左の手首を摩ろうとした。だが、それはかなわない。今度は両腕で抱きしめられ、再びソファーに押し付けられる。
 美鶴のマンション。朝のリビング。母の詩織(しおり)は店の女の子の家で朝まで呑んでいたらしい。遅くとも正午近くまでは帰ってこない。
 部屋に二人。
 顎を取られる。再び唇が重なる。美鶴の細い首では、聡を振り払う事はできない。
 細くて、小さくて、でも暖かい。
 奄々(えんえん)としながらそれでも逃れようとする美鶴の顔を追いかけ、聡はもっと強く抱きしめた。
 もっともっと、欲しくなる。





「それにしても呆れるわ」
 廿楽(つづら)華恩(かのん)は携帯をスライドさせながら差し出す。
「好きでもない女と、よくもまぁあっさりとキスなんてできたものね。まぁもっとも、あなたは昔から何を考えているのかわからない事も多かったし、突飛な行動もよく取ったものだけれどね」
 その言葉を鼻で笑いながら、小童谷(ひじや)陽翔(はると)は携帯を受け取る。
「そんな形式なんてものに(こだわ)っているから、男にも振られるんだ」
「し、失礼なっ!」
 頬を真っ赤にして反論する華恩。
「こっちが振ってやったのよ」
「なら、こんなバカげた事、する必要もなかったんじゃないのか?」
 チラリと携帯を持ち上げてみせる。
「自分を侮辱した山脇(やまわき)瑠駆真(るくま)をこのままにはしておけない。そう泣きついてきたのは誰だっけ?」
「泣きついたワケじゃないわ」
 華恩は口ごもりながら視線を落す。
「泣きついてもいないし、私は別に山脇瑠駆真の事なんて、どうでもいいのよ」
「どうでもいいワリには、拘ってるじゃないか」
「私はただ、侮辱されたのが気に入らないだけ」
 そうだ。私に向かって気色悪いだなどと言ってのけるあの態度が許せないのだ。由緒正しき廿楽家の娘として育てられてきた華恩にとって、瑠駆真の態度は決して許せない。しかも、反撃しようと試みた自殺未遂は空振りに終わったばかりか、逆に自分の立場をさらに追い込んでしまった。
 男に振られて未練たらしく自殺未遂を起こしたと噂され、華恩はもう恥ずかしくて学校へは通えない。
 こうなったのも、すべて山脇瑠駆真と、そしてあの低俗でフシダラな女子生徒のせいだ。
 許せない。絶対に許せない。
 ギリギリと歯噛みする幼馴染に肩を竦める陽翔。
「女の恨みは怖いな」







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